yuto NIKKI  思いついたり、考えたことを軽い感じで書いてます

<< April 2012 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>


2011.08.01 Monday  スポンサーサイト

この広告は60日以上更新がないブログに表示されております。
新しい記事を書くことで広告を消すことができます。

- . -



2011.08.01 Monday  輝かしい未来なんて

東京大学アイソトープ総合センター長児玉龍彦教授の参考人質疑の映像を確認。


心に訴えかけられるプレゼンテーションを久々に聞かせて頂いた(というか、聞く機会を自分で作ってないことに愕然としたのだけれど。。。)

素直に憧憬の眼差しで見いってしまった。あの濃密なプレゼンテーションのための想いや背景、準備にかけた時間などが前身に伝わってきました。


と同時に、自分自身に悔しさも感じました。

比べるとかおこがましい話しではなく、なんか熱意を発しているのか自分と。自己啓発したいのではなく、日常的なレベルでも何か熱意までいかなくても気になっていなきゃいけないことってある気がして、それがないということを悔しく感じました。


自分は舞台に上がって踊っていないし、その練習もしてない気がする。

と、もんもんしてもしょーがない気もするので、あと2ヶ月は試練の時と考えます。




話しは変わりプレゼンテーションとかの話しではなく、なんかこの前の台風の時もそうだけど、安全な場所(特に放射能なんかに関しては、「よく分からん」という思考停止状態によって安全と思い込んでいる状態)で見ていると、非日常がどっかで起こっていることは知っていても、人ごとのような気もします。


だったら「Let's go ボランティア!!」という短絡的な話しでもないんだろうけど。

(これも若干自分への言い訳もある気がするけど)



何かが変わる。何かを変えなきゃいけない。何もかも壊れて新たな空間が出現するかのような、輝かしいい生まれ変わり(新東京シティー的な発想なのかな?)を皆が期待しつつも、テレビの前の安心安全な場所で祈っている期待だけでは結局、電車の中吊り広告の見出しを見て。「なんとなく世の中が変わっているんだなー。さ、仕事仕事。」となり、根本的にはなんも変わってないのでは。


(※未来都市で検索して拾ってきた)



さて、安心安全からどう一歩を踏みだそうか。




2011.06.05 Sunday  頑張りどころ、頭の使いどころ

どもども。

あんな寝坊していた僕もすっかり5:45に毎朝起きて日々出社しています。
働き始めて2ヶ月ちょっと。建築漬けの毎日です。とりあえず頑張ってます。

いまは、ぎろっぽんの高層マンションの現場でヘルメットに作業着着て、階段を汗たらたら上り下りしています。

一応研修という立場上、現場を知ってこいと言われてて、まあ、必死こいている訳だけども、いまいち熱量が上がってこないんだよね。楽しいし、勉強することは山ほどあるのだけれど、なんかね。

と、最近まで悶々としていたのだけれど、「いいもの(あえて建築ではなく)をつくろう」という本当に単純明快な意思共有をするということを目標にすると、日々の仕事のスタンスが楽になるのかなと思ってます。

けど、頭はあまり使ってないんだよね。
覚えたり考えたりは当然するけど、回転してない感じなんだよなー


ほとんど0の状態で放り込まれて、考えるための周りの背景や条件、状況が全く分からん状態だからしょーがないとは思うのだけれども。少しずつ把握して考えていきたいなと。



まあ、一年目がなに言ってんだとも自分で思うので、とりあえず頑張ってみるべきなのかなと結局納得してもいるのだけれども。


ということで、頭のつかいどころというよりは、頑張りどこな気がする半年にしようという意思表示です。





2011.04.19 Tuesday  卒業

先日、都市デザイン研究室を修了をしました。
2年間本当にいろんな勉強ができて楽しかった。自分自身成長できたなと実感できる2年間でした。

思うことはいろいろあるのだけれど、やっぱり「人」のパワーが本当に大事だなと。
そして恵まれた環境のなかでいろんな出会いがあったなと。
ほとんど専門が違うと言っていいほどのトコに飛び込んだ選択は間違いではなかった。最後の先生方の言葉もすうっ体を満たす感覚になって、頑張ってきて本当によかったなと思えた。


これまでは吸収するばっかりだったけど、これからは自分から発信しなければならないんだなーとも思う。サラリーマンですが、あんまそうゆうことは関係ない気がする。

本当に「人」に恵まれた2年間だったなー濃すぎ。

ありがとうございました。
でも卒業という感覚はあんまりなく、まだ延長線上にずっと立っている感じです。まだまだ道のりは長いけど、着実かつ大胆に進んで行きたいと思います。







2011.04.17 Sunday  旅行

先日の日記にもあったように、震災時に海外旅行に行ってました。オーストリア/チェコへ。
なんとなく書きにくかったけど、しっかり楽しんだので忘れないうちに「いかす」と思ったところを。

-----


「ミュンヘンの駅構内のタバコ屋」
ミュンヘンからオーストリアへ向かう予定だったので、ドイツも実は少しいました。
なんというか、いいよね。商品がしっかり見せられて(魅せられて)いる感じ。タバコ屋がまちの中から消えてるということは、ひとつ魅せるコンテンツが減る気もした。


「ザルツブルグのスケール感のおかしいだまし絵的な壁面」
壁面にだまし絵を書いた意匠が16世紀に流行したらしい。それのスケールバージョンなのではと勝手に解釈。前面に広がる広場の奥行きを持たせる意図があったのかも。


「どっかの教会の尖塔部分内装」
万華鏡のよう。ずっと見つめてると細部が崩れて回りだして変な感覚になった。採光によって奥行きがかろうじて支えられているんだけど平面のような見え方。見ていたくなる。


「シャンディー宮の温室」
相当行きたいなと思っていたこの旅行の目的地のひとつ。近代の万国博覧会的な雰囲気そのままでいかす。意匠としての鉄骨むきだしな構造もいかす。


「シャンディー宮の園路」
気持ちいい。


「secessionに展示されてる現代アートと僕たち」
シュールな感じが好きです。地下にあるベートーベンの楽曲を表現した絵の空間は本当によかった。オーストリアに行った際には是非。


「オーストリアのオペラ座」
4€の立ち見だったけど、相当楽しめた。あのBOX席憧れる。
舞台からオペラの人達の声が発せられているんだけど、なんか音響の3Dって感じでした。


「チェコの郊外都市の駅前ショッピングモール内の屋上にバスプールが!!!」
この旅行で地味に一番おもろしろかった。駅前のショッピングモール(やっぱり3層ガレリア式)の屋上に、まさかバスプールが。そこでさばく発想があったか!!!って思った。
たぶん駅前の整備が交通をさばくのに追いつかなかったから「屋上でやらね??」って感覚かな??あっちの市街地では駐車場という空間の使い方の概念があまりないためか、このような感じになったと思われる。


-----


とまあ、こんな感じです。
しっかり楽しんできました。ヨーロッパはトルコ(イスタンブール)、フランス、ドイツ、イタリア、オーストリア、チェコと行き、大陸がつながってる感覚をようやく掴めた気もします。逆に言えばガラパゴスな島国の独自性も。

いまんとこ予定ないけど、今度は仕事でアジア行きたいなーと。
エネルギッシュな雰囲気が好きなのかもしれない。アジアに仕事で行かれるみなさん、話し聞けるの楽しみにしてます。




2011.04.04 Monday  震災に感じること

東日本大震災。
仙台でもあるし、思ったことを書いた方がいい気がするので。

僕は海外にいてそれをリアルタイムで感じる?哀しむ?ことはできなかった。
事態も分からぬまま、家族から「無事」とのメールだけ送られてきたから、ひとまず大丈夫なんだなとかのんきに思ってた。

だからか、リアルが感じれなかった。

海外にいたことも影響するかもしれないけど、あっちのテレビや新聞で記事を確認して、本当に悲惨な状況を目の当たりにしているのに、目の前の矛盾がある。「とりあえず家族や友人が無事だし、俺らが心配してもしかたないかし、最後の学生旅行だし楽しもう」「忘れたいけど楽しむとか頭いかれてるだろ」こんなよく分からない感じがあった。

けど、リアルが感じられない。なんでだろ。被災のリアルを感じたいのかと言われれば、それは分からない。

都市を学ぶ一人として何ができるのだろうか。いつもは常ににぎわいや幸せなどを中心に考える。しかし、震災などの防災基本要件などはほとんど考えていない。それは、上述のようなリアル、実感がないから。また、マイナスの出来事であり、プラスになることを考えようとしているからだと思う。

インタビューで被災者が全壊した「まち」を背に避難地に行く中で「ここで暮らしたい。また戻りたい」と言う。都市縮小論とか本当に地域を再生する必要があるのか?という議論もある。簡単にメタな視点では線がひけるし絵が書ける。けれどもこれらの想いがあることも事実。復興?修繕?修復?計画は、その矛盾を抱えつつも、それと相反する被災者の声や想いを掬い上げる必要がある。

バブル後の失われた20年。常に変革の時代と言われている中で育ってきて(いつの時代も同じなんだろうけど)その後に何ができるのかという議論のなかで、このような内発的な世界的被災。何か変わらなければならない。これは福島原発の議論からくる話しなんだろうけど。やっぱり、地震津波と福島原発は別な気がする。原発の議論はもうちょっと考えたい。


先日、実家の母親と電話して色々話しを聞いた。

被災地を実際見なきゃいけない気がして車で行ったらしい。報道は最も震災の被害の大きなところを報道するしそれに意味がある。でも家族や友人等は、比較的被害の少ないところにいる。連絡をとっても、みんな口を揃えて「大丈夫だから」と言ってくれる。みんなは被災地の中でリアルを感じている。そこには悲しみもあるし、当然笑いもある。弟が笑いながら「ガソリンスタンドで12時間待って、戦利品3000円分のガソリンだよ」や友達の「風呂入れないからまじ臭い」「満喫レベルの漫画を抱える俺の部屋の状態見たら吹くよw」、「たぶん農業高校のブタが流れついてきて、どうしたらいいか分からないから今飼ってる」などの笑いもある。普段と変わらない雰囲気で。たぶん震災の状況を受け止めつつも生活があるから、こんな笑いもでてくる。悲しみだけ伝えるのはおかしいという話しもどこかで聞いた気が。それは、求められているかは分からない。それを伝えるべきかも分からない。でも、リアルを感じて実感を持つ人達にとっては、被災しつつも日々の生活を必死になって考えなきゃならない中での笑いであって、伝える伝えないの話しではない気もする。こんな雰囲気を実感として感じたかった。

一般論として「何ができるのか」も本当に重要だし、遺体回収などのえげつない頭のいかれそうな作業をしてくださっている人々がいる事実の中で、「場」にいて考えたかったし、家族の力になれたらと思った。

でも、安全な場で生活しているという前提があるからこそ思うことであるし、その「場」にいなかったから思うことでもある。安心できる場にいるけれども、この少しのリアルを大切にしなければいけない。素直に感じ取ることだ。切なくなっても何もできない自分がいる。何もできないし、無力だけれども、素直に悲しめばいいし、心を痛めることに意味があるのではないか。そして何かにつながるのかな?それは全く分かりません。。。。。



なんか、どりゃーっと書いた。

読むものではないな。ちゃんと更新していこうっと。




2010.09.12 Sunday  世代交代

世代交代って死語な気もするし、ナンセンスな気もするけど、
「こうゆうものかな」と思ったもの。




このなんとも言えないシュールさが好き。


ゆるゆる写真だけど、変わるほうがいいもの、変わらないほうがいいもの。
しっかり考えていきたい。




2010.08.13 Friday  話す

お盆ですね(@研究室…)
仙台では、「こんばんわ」のことを「おばんです」と言うらしい。
使ったことはないけど、「OH!!バンです」っていうローカル番組があるくらいだから間違いない。

「お盆ですね」と「おばんですね」って似ているな。
書いているうちに思いつきました。



そんなどーでもいいことはよくて、
先日、国際交流基金が主催する「East Asia Future Leaders Program」なるものにお手伝いとして同行しました。

このプログラムは、東アジアの国々(オーストラリアとかも)の若手研究者が、日本の歴史的な町並み(京都・高山・越中八尾・五箇山・金沢)を見て回って議論するというものでした。




お手伝いでしたが、基本的にずっと英語で話す状態でした。
まあ、いけるだろとは思いつつも、ものすごく不安でした。


うーん、でもやっぱり都市を見ての議論だからか、なんとか普通に話せました。
たぶん。。。笑



話すことが目的じゃなかったからだと思う。
議論するために「話す」。だから、なんとかできたと思う。
必死に自分の伝えたいことを伝えるため。(電子辞書は肌身離さずだったけど。笑)


といいつつ、
文法もめちゃくちゃだし、
知らない単語たくさんあるし、
なんでアジアのやつらはこんなにぺらぺらなんだと思ったし、

伝えたいという気持ちだけでは、限界があるなーとも思いました。
まあ、ものすごくいい経験でした。いっきに15カ国25人の友達ができたのもよかった。




ひとつ、不安といえば、ブルネイの女の子がベール(頭にかぶる頭巾みたいなの)を脱いだとこを、不意とはいえ、見てしまいました。
旦那さんにしか見せないそうです。


けど、日本(海外)に来ると、その宗教の守らなきゃいけないことも「まあ、いっか」ってなるらしいです。
みんなそう言っていたのがおもしろかったです。


それと、僕が色黒のせいもあるため、彼らと歩いていると外国人に完全に間違われてました。
話しかけられる(ホテルとか飲食店で)時に、日本人の人達が目を見ずに、「excuse me」とか「thank you」とか、たどたどしく話しかけてくることに、変な感じがしました。



日本にいながら、留学ができたような感覚になり、本当にいい経験ができました。
このような機会をつくって頂いた先生に感謝です。






2010.07.21 Wednesday  ふとした感動

こんばんわ。
今日の15:00から研究室会議があるため、作業中です。

そんな中、論文の書き方を参考にするために、ふと現助教の先生の修士論文を手に取り、パラパラページをめくっていると、あとがきを見つける。

そのあとがきに、ふと感動してしまった。
「しまった」という表現は、ふさわしくないのかもしれないけど、本当にそんな感覚。
なんか、義務感での論文の要素がどこにも感じない。


本当に自分の思っている事を丁寧に書き上げたんだなーと、心にしみいりました。
文章から、論文の重みを感じる。


自分の論文のあとがきにも、こうして深夜作業している後輩の誰かが、「ふと」感動するような重みがでるように、頑張りたい。




なんとなく、
まちにおいてもこの「ふと」した感覚って、ものすごい大事な要素な気がする。
スケールの表現的には都市でも農村でもなく、やはり「まち」がふさわしいと思う。

なんだろ、生活がそこにある感じなのかな。
まあ、色々妄想する前に、資料作ります。


頑張ろう。







2010.06.22 Tuesday  上から観戦

2010年南アフリカワールドカップのサッカースタジアムが気になったので、google mapでいくつか見てみました。

ピクチャ 2.png
ネルソン・マンデラ・ベイ・スタジアム

ピクチャ 3.png
グリーンポイント・スタジアム

ピクチャ 4.png
モーゼス・マヒダ・スタジアム

ピクチャ 5.png
ピーター・モカバ・スタジアム

ピクチャ 7.png
ニューランズ・スタジアム

ピクチャ 9.png
エリス・パーク・スタジアム


改めて見るとすごいスケール感なんだなーと。
観客席を覆ってる屋根?が白いのも、黒とかだったら、このスケール感で黒は重すぎるでしょって感じなのかな。


なんか、W杯ってお祭り騒ぎ感が強くて、あまり都市基盤整備とかのハナシ出てこないよね。国単位だし、整備する面積広すぎで、その整備過程が可視化されにくくなってるのかな。

その点、オリンピックは(1968東京オリンピックと1988ソウルオリンピックくらいしか実感ないけど)、都市っていう単位だから、都市基盤整備とかの過程が密度的にギュッてなってるから可視化されやすいし、実感として得られるのかもね。


とか、なんとなく思いました。
とか言いつつ、国単位なW杯は個人ってよりは、国家のナショナリティーが全面的にでるから見てて面白いよね


日本がんばれえええええええええええええーーー!!!!!!





2010.06.18 Friday  古代化

「メソポタミア」ってたまに言いたくなるよね。


先日、新宿をふらふら歩いていて、H&Mを見つけてその名の通り、ふらーっと入ったら、女性用のアクセサリーのところにびっくり。

P2010_0321_202054.JPG

なんか、アクセサリーが古代化してるね。
このまんま遺跡とかになったら、王の墓的なものになりえるよ。



みなさん、僕はシンプルなやつが好きですww




/ 1 / 9 / >>

Profile

Archives

admin